【趣味の視点からみた自分史(その7)】
2006年6月25日 趣味 コメント (5)●杜の都在住時代(TRPG編後編):
TRPGにおいて、私はそのつど新たにキャラクターを創るよりは、既存のキャラクターを使うことを好んだ。したがって、遊ぶ仲間がある程度固定されるにつれて、使用するシステムも固定されていった。
だからといって、ずっと同じシステムだけを使い続けていたわけでもなく、新製品が発売されるたびにバイト代をつぎ込んで片っ端から集めていたのである。
当時の私は「日本語で遊べるシステムは全部持っている」などと豪語していたものだが、これは勘違いもいいところで、思い返すと恥ずかしくて身悶えしそうになってしまう。
どんなシステムを持っていたのか、一通り書き出してみることにする。確か70タイトルぐらいは持っていたように記憶しているが、果たして全部思い出せるだろうか?
※『』内が基本システムの製品名。
※『』以降の記述は、購入したサプリメント等について。
○国産ゲーム:
『トーキョーN◎VA』
『まじかるランドRPG』
『ウィッチ・クエスト』
『央華封神』
『ゴーストハンター』+シナリオ集
『ソードワールドRPG』+追加セットやシナリオ集多数
『RPG幻想事典』
『パワープレイ』+追加セット2
『ブルーフォレスト物語』+追加セット2
『メタルヘッド』+追加セット4〜5
『スペオペヒーローズ』
『クリスタニアRPG』
『真・女神転生RPG』
『戦国霊異伝』
『ファー・ローズ・トゥ・ロード』
『ASURAファンタジー』
『イースRPG』
『クリスタニアコンパニオン』
『スモール・スティル・ボイス』
『退魔戦記』
『WARPSオリジナル』+追加セット3〜4
『光と闇のレジェンド』
『ルーンクエスト’90s』
『イサー・ウェン・アー』+追加セット3
『ギア・アンティーク』+追加セット2
『ローズ・トゥ・ロード』
『真・ウィザードリィ』
『ダブルムーン伝説』
『ドラゴンハーフ』
『ハイパー・トンネルズ&トロールズ』
『ブレード&ワード』
『ビヨンド・ローズ・トゥ・ロード』
『プライマリー・ギルド・ワールド』
『ドラゴンリング』
『ロードス島戦記コンパニオン』+追加セット1
『ワースブレイド』+追加セット2〜3
『ウィザードリィ』+追加セット2〜3
『ナイトメアハンター』
『フォーリナー』
○海外ゲーム(日本語訳されて発売されたもの):
『クトゥルフの呼び声』+追加セットやシナリオ集10前後
『ストームブリンガー』+追加セット3〜4(含英語版)
『D&D(赤箱〜金箱)』+シナリオ集等20以上
『指輪物語RPG』+ワールドガイド3〜4
『ロールマスター』+追加セット10以上(含英語版)
『シャドウラン』
『サイバーパンク2.0.2.0』
『ダークコンスピラシー』
『TORG』+追加セット1
『アドバンスト・ファイティング・ファンタジー』
『ウォーハンマー』
『モンスター・ホラーショウ』
『アドバンスト・ファンタズム・アドベンチャー』
『ドラゴン・ウォーリアーズ』
『メガトラベラー』
『混沌の渦』
『甲竜伝説ヴィルガスト』
『ファンタズム・アドベンチャー』+追加セット3〜4
『幻のユニコーンクエスト』
『ルーンクエスト』+追加セット10以上(含英語版)
『トンネルズ&トロールズ』+シナリオ集多数
『ラビット&ラッツ』
『ジェームズボンド007』+シナリオ集1
『ファイティング・ファンタジー』
『トラベラー』+追加セット3〜4
『ブラッド・パス』
○海外ゲーム(当時未訳だったもの):
『Vampire:The Masquerade (2nd.Ed)』+各種ガイド15前後
『Elric!』
『Paranoia (2nd.Ed)』+シナリオ集2〜3
『AD&D(1st.Ed)』+各種ガイドブック等10前後
『Toon』
『DC Heros』
我ながら、よくこんなに買ったものだと感心するやら呆れるやら。買ってルールを一読しただけで、実際には遊ぶ機会がなかったシステムの方が多かったような気がする。
ちなみに、赤字のシステムは、杜の都から地元に戻ってくる際に一時的に実家に預けたところ、いつも間にか父親にすべて捨てられてしまったため、現在は手元に残っていないものである・・・まあ、「酸っぱい葡萄」と呟いて自分を慰めるしかないよね?
□■□■□■□
本日はこのぐらいで。
TRPGにおいて、私はそのつど新たにキャラクターを創るよりは、既存のキャラクターを使うことを好んだ。したがって、遊ぶ仲間がある程度固定されるにつれて、使用するシステムも固定されていった。
だからといって、ずっと同じシステムだけを使い続けていたわけでもなく、新製品が発売されるたびにバイト代をつぎ込んで片っ端から集めていたのである。
当時の私は「日本語で遊べるシステムは全部持っている」などと豪語していたものだが、これは勘違いもいいところで、思い返すと恥ずかしくて身悶えしそうになってしまう。
どんなシステムを持っていたのか、一通り書き出してみることにする。確か70タイトルぐらいは持っていたように記憶しているが、果たして全部思い出せるだろうか?
※『』内が基本システムの製品名。
※『』以降の記述は、購入したサプリメント等について。
○国産ゲーム:
『トーキョーN◎VA』
『まじかるランドRPG』
『ウィッチ・クエスト』
『央華封神』
『ゴーストハンター』+シナリオ集
『ソードワールドRPG』+追加セットやシナリオ集多数
『RPG幻想事典』
『パワープレイ』+追加セット2
『ブルーフォレスト物語』+追加セット2
『メタルヘッド』+追加セット4〜5
『スペオペヒーローズ』
『クリスタニアRPG』
『真・女神転生RPG』
『戦国霊異伝』
『ファー・ローズ・トゥ・ロード』
『ASURAファンタジー』
『イースRPG』
『クリスタニアコンパニオン』
『スモール・スティル・ボイス』
『退魔戦記』
『WARPSオリジナル』+追加セット3〜4
『光と闇のレジェンド』
『ルーンクエスト’90s』
『イサー・ウェン・アー』+追加セット3
『ギア・アンティーク』+追加セット2
『ローズ・トゥ・ロード』
『真・ウィザードリィ』
『ダブルムーン伝説』
『ドラゴンハーフ』
『ハイパー・トンネルズ&トロールズ』
『ブレード&ワード』
『ビヨンド・ローズ・トゥ・ロード』
『プライマリー・ギルド・ワールド』
『ドラゴンリング』
『ロードス島戦記コンパニオン』+追加セット1
『ワースブレイド』+追加セット2〜3
『ウィザードリィ』+追加セット2〜3
『ナイトメアハンター』
『フォーリナー』
○海外ゲーム(日本語訳されて発売されたもの):
『クトゥルフの呼び声』+追加セットやシナリオ集10前後
『ストームブリンガー』+追加セット3〜4(含英語版)
『D&D(赤箱〜金箱)』+シナリオ集等20以上
『指輪物語RPG』+ワールドガイド3〜4
『ロールマスター』+追加セット10以上(含英語版)
『シャドウラン』
『サイバーパンク2.0.2.0』
『ダークコンスピラシー』
『TORG』+追加セット1
『アドバンスト・ファイティング・ファンタジー』
『ウォーハンマー』
『モンスター・ホラーショウ』
『アドバンスト・ファンタズム・アドベンチャー』
『ドラゴン・ウォーリアーズ』
『メガトラベラー』
『混沌の渦』
『甲竜伝説ヴィルガスト』
『ファンタズム・アドベンチャー』+追加セット3〜4
『幻のユニコーンクエスト』
『ルーンクエスト』+追加セット10以上(含英語版)
『トンネルズ&トロールズ』+シナリオ集多数
『ラビット&ラッツ』
『ジェームズボンド007』+シナリオ集1
『ファイティング・ファンタジー』
『トラベラー』+追加セット3〜4
『ブラッド・パス』
○海外ゲーム(当時未訳だったもの):
『Vampire:The Masquerade (2nd.Ed)』+各種ガイド15前後
『Elric!』
『Paranoia (2nd.Ed)』+シナリオ集2〜3
『AD&D(1st.Ed)』+各種ガイドブック等10前後
『Toon』
『DC Heros』
我ながら、よくこんなに買ったものだと感心するやら呆れるやら。買ってルールを一読しただけで、実際には遊ぶ機会がなかったシステムの方が多かったような気がする。
ちなみに、赤字のシステムは、杜の都から地元に戻ってくる際に一時的に実家に預けたところ、いつも間にか父親にすべて捨てられてしまったため、現在は手元に残っていないものである・・・まあ、「酸っぱい葡萄」と呟いて自分を慰めるしかないよね?
□■□■□■□
本日はこのぐらいで。
【趣味の視点からみた自分史(その6)】
2006年6月23日 趣味 高校を卒業した後、私は親元を離れ”杜の都”の名で知られる東北地方の某都市で6年を過ごすことになる。それは日本におけるTRPGの全盛期とTCGの黎明期と重なる時期でもあった。
□■□■□■□
●杜の都在住時代(TRPG編前編):
高校時代の仲間と離れ離れになりはしたが、倖いにも当時はTRPGの全盛期であり、ここ杜の都でも毎週のようにコンベンションが開かれていたので、新しい出会いの場には事欠かなかった。
とは言うものの、TRPGは他人とのコミュニケーションの要素が強いため、気の合わない人たちと卓を囲むはめになることも多かった。プレイヤーの1人の言動が生理的に受け付けないというのはまだましな方で、GMのシナリオとマスタリングと性格が絶望的に破綻しているために”人生の無駄遣い”をしたことも珍しくなかった。
もっとも、後者の場合は「このGMむかつくよね」「うん、死んじゃえばいいのに」という気持ちでプレイヤー全員が固く結束する場合もあったので、それはそれで懐かしい思い出といえる。
ともかく、何度もハズレを繰り返しながらあちこちの会場に何度も足を運ぶうちに、やがて幾つかのグループと親しくなることができた。
ここで色々と紆余曲折があったり私の例の”好き嫌い”の問題があったりして結果、結局は私よりTRPG暦も人生経験も私より豊富な人たちと付き合うようになったが、高校時代の部活と同様に年上の男性好き属性が影響したのか否か? 当時の私は無自覚だったので、今となっては答えは歴史の闇の中である。
親元を離れたことによって”門限”という制約がなくなったこともあり、月に何度か金曜の夜〜日曜の夜までTRPG漬けなんていうことを平気でやったものだが、今やろうとしても体力と気力が続きそうにない。やっぱり何事も身体が資本だということを思い知らされる。
□■□■□■□
当時は色々なシステムが手に入るようになっていたが、私たちのグループが好んだのは『D&D』『ルーン・クエスト』『ストームブリンガー』『クトゥルフの呼び声』などの海外物(日本語版)のだった。
高校時代に『AD&D』を翻訳していた私だが、メンバーたちが英語のシナリオやサプリメントで遊んでいるのに感化され、他のシステムの翻訳にも着手するという今にして思えば自信過剰なことをやらかしていた。以下はその”墓標”である:
『AD&D Players Handbook』
『AD&D Dungeon Master Guide』
『AD&D Unearthd Arcana』
『AD&D Oriental Adventure』
『Elric!』
『Vampire The Masquerade』
『Paranoia』
なにせ当時の私はパソコンもワープロも持ってなかったので、すべてルーズリーフに手書きだったことを思い出すと、自分で自分を褒めてやりたい気分になる。
そして同時に、上に挙げたシステムの大半は数ヶ月かけて翻訳を終えて何度か遊んだ頃に版が更新され、しかも日本語版の発売が決定されたことも思い出し、目頭が熱くなってくるのを禁じえないのである。
□■□■□■□
本日はこのぐらいで。
□■□■□■□
●杜の都在住時代(TRPG編前編):
高校時代の仲間と離れ離れになりはしたが、倖いにも当時はTRPGの全盛期であり、ここ杜の都でも毎週のようにコンベンションが開かれていたので、新しい出会いの場には事欠かなかった。
とは言うものの、TRPGは他人とのコミュニケーションの要素が強いため、気の合わない人たちと卓を囲むはめになることも多かった。プレイヤーの1人の言動が生理的に受け付けないというのはまだましな方で、GMのシナリオとマスタリングと性格が絶望的に破綻しているために”人生の無駄遣い”をしたことも珍しくなかった。
もっとも、後者の場合は「このGMむかつくよね」「うん、死んじゃえばいいのに」という気持ちでプレイヤー全員が固く結束する場合もあったので、それはそれで懐かしい思い出といえる。
ともかく、何度もハズレを繰り返しながらあちこちの会場に何度も足を運ぶうちに、やがて幾つかのグループと親しくなることができた。
ここで色々と紆余曲折があったり私の例の”好き嫌い”の問題があったりして結果、結局は私よりTRPG暦も人生経験も私より豊富な人たちと付き合うようになったが、高校時代の部活と同様に年上の男性好き属性が影響したのか否か? 当時の私は無自覚だったので、今となっては答えは歴史の闇の中である。
親元を離れたことによって”門限”という制約がなくなったこともあり、月に何度か金曜の夜〜日曜の夜までTRPG漬けなんていうことを平気でやったものだが、今やろうとしても体力と気力が続きそうにない。やっぱり何事も身体が資本だということを思い知らされる。
□■□■□■□
当時は色々なシステムが手に入るようになっていたが、私たちのグループが好んだのは『D&D』『ルーン・クエスト』『ストームブリンガー』『クトゥルフの呼び声』などの海外物(日本語版)のだった。
高校時代に『AD&D』を翻訳していた私だが、メンバーたちが英語のシナリオやサプリメントで遊んでいるのに感化され、他のシステムの翻訳にも着手するという今にして思えば自信過剰なことをやらかしていた。以下はその”墓標”である:
『AD&D Players Handbook』
『AD&D Dungeon Master Guide』
『AD&D Unearthd Arcana』
『AD&D Oriental Adventure』
『Elric!』
『Vampire The Masquerade』
『Paranoia』
なにせ当時の私はパソコンもワープロも持ってなかったので、すべてルーズリーフに手書きだったことを思い出すと、自分で自分を褒めてやりたい気分になる。
そして同時に、上に挙げたシステムの大半は数ヶ月かけて翻訳を終えて何度か遊んだ頃に版が更新され、しかも日本語版の発売が決定されたことも思い出し、目頭が熱くなってくるのを禁じえないのである。
□■□■□■□
本日はこのぐらいで。
【趣味の視点からみた自分史(その5)】
2006年6月20日 趣味 今回で高校時代の話はいったん終わりである。せっかくなので、青春の思い出に相応しく女の子も絡ませてみようかと頑張ってみる予定。
□■□■□■□
●高校時代(音楽部編):
私の父親はTV番組の好き嫌いが激しかった。
・歌番組 → 不許可
・連ドラ → 不許可
・お笑い系 → 不許可
・野球 → 巨人が負けている試合のみ可
気に入らないドラマのCMが流れただけで、不機嫌になってTVの電源を切ってしまったぐらいである。我侭にもほどがあるという気がしないでもないが、「ああ、やっぱり私はこの人の子供なんだな」と納得する部分があったりもする。
そんなわけで、小学校〜高校という多感な時期に、自由にTV番組を楽しむこともできず、必然的に友人たちとその手の話題で盛り上がるという経験をすることもなかった。もっとも、当時の私はそんな環境に慣れていた上に「今日も本に囲まれて、しあわせ」という状態だったので、それほど残念だとは思っていなかったのだが。
こういった環境で育った反動なのかどうかは解らないが、後に妹と弟は超有名歌手のコンサート ”ムーンウォーク”が得意な”ネバーランド”の主 に行ったり、ギターを弾いたりドラムを叩いたりしていた。
そんな2人の兄である私はどうだったのかというと、中学まではいわゆる帰宅部であったにも関わらず、高校では入学直後に何故か混声合唱部に入部していた。
別に歌声に自信があったとか、入学式で見かけて一目惚れした女の子が合唱部だったとか、そういう理由ではない。部活紹介をしていた男の先輩がむっちゃ格好良かったのだ。もちろん、それまで合唱の経験などありはしないし、音楽の時間は嫌いな方だったが、そんなこと知ったこっちゃないのである。私は単純にあの先輩たちと一緒に部活がしたかったのだ。
□■□■□■□
ここで、「あれ?ぼすべる氏は美術部員ではなかったかな?」と思った人のために解説させていただくが、私の通っていた高校では兼部が認められていたのだ。
最大幾つまで掛け持ちが可能だったのかは解らないが、とにかく私は美術部、合唱部、文芸部に所属し、ごくたまに演劇部のお手伝いをしていた。ちなみに、文芸部では部長も務めたが、これは単に私の代の3年生が私1人だけという事情があっただけのことである。
なお、音楽部+美術部という生徒は、私を含めて3人いたということも付け加えておこう。
□■□■□■□
さて、男女混声合唱部とは言っても、練習自体はパート毎に男女別々の部屋ですることが常だったが、私は女子部員は眼中になかったので全く不満はなかった 彼女たちの名誉のために言っておくと、私の代の女子部員は可愛い子達が揃っていた。いや、お世辞でなく。本当に。練習中や練習後に、機会を見つけては心置きなくお気に入りの男の先輩に絡んで部活を楽しんだことが思い出される。
まあ、堂々とそんなことを続けていれば腐女子のみなさんが喜びそうな噂が立つようになるのは必然といえば必然。それに加えて、日ごろから『不思議の国のアリス』やら『魔法少女アニメ』が好きなことを公言していたこともあり、ある日のこと、中学時代から親しかった同級生であり当時こっそりと想いを寄せていた女の子(※彼氏持ち)から、こんな質問をぶつけられることになるのもまた必然。
「ねえねえ、ぼすべる君って”ホモ”で”ロリコン”なんでしょう?」
・・・あまりにも直球勝負というかデッドボールな彼女の無邪気な問いかけに、当時の私は気の利いた返答ができなかったことが今でも悔やまれる。
「ちょっと待った、訂正を要求する。私は君のことが好きだから、”ホモ”じゃなくて”バイ”ということにして欲しい」
と、ドサクサにまぎれて告白して相手を困らせるぐらいのことをしてやりたかったとつくづく思う。
□■□■□■□
3年間という長いようであっという間の時間だったが、部活をきっかけにして音楽の世界に急速に惹きつけられていったかというと、そんなことは全然なかったこととか、他の部員の上手さに較べて自分の下手っぷりに落ち込んだり、人間関係に嫌気がさしていったん退部届けを出したり、それなりに色々な出来事があったりはしたのだが、音楽部自体にまつわる思い出話は全てばっさりと割愛。
□■□■□■□
本日はこのぐらいで。
□■□■□■□
●高校時代(音楽部編):
私の父親はTV番組の好き嫌いが激しかった。
・歌番組 → 不許可
・連ドラ → 不許可
・お笑い系 → 不許可
・野球 → 巨人が負けている試合のみ可
気に入らないドラマのCMが流れただけで、不機嫌になってTVの電源を切ってしまったぐらいである。我侭にもほどがあるという気がしないでもないが、「ああ、やっぱり私はこの人の子供なんだな」と納得する部分があったりもする。
そんなわけで、小学校〜高校という多感な時期に、自由にTV番組を楽しむこともできず、必然的に友人たちとその手の話題で盛り上がるという経験をすることもなかった。もっとも、当時の私はそんな環境に慣れていた上に「今日も本に囲まれて、しあわせ」という状態だったので、それほど残念だとは思っていなかったのだが。
こういった環境で育った反動なのかどうかは解らないが、後に妹と弟は超有名歌手のコンサート
そんな2人の兄である私はどうだったのかというと、中学まではいわゆる帰宅部であったにも関わらず、高校では入学直後に何故か混声合唱部に入部していた。
別に歌声に自信があったとか、入学式で見かけて一目惚れした女の子が合唱部だったとか、そういう理由ではない。部活紹介をしていた男の先輩がむっちゃ格好良かったのだ。もちろん、それまで合唱の経験などありはしないし、音楽の時間は嫌いな方だったが、そんなこと知ったこっちゃないのである。私は単純にあの先輩たちと一緒に部活がしたかったのだ。
□■□■□■□
ここで、「あれ?ぼすべる氏は美術部員ではなかったかな?」と思った人のために解説させていただくが、私の通っていた高校では兼部が認められていたのだ。
最大幾つまで掛け持ちが可能だったのかは解らないが、とにかく私は美術部、合唱部、文芸部に所属し、ごくたまに演劇部のお手伝いをしていた。ちなみに、文芸部では部長も務めたが、これは単に私の代の3年生が私1人だけという事情があっただけのことである。
なお、音楽部+美術部という生徒は、私を含めて3人いたということも付け加えておこう。
□■□■□■□
さて、男女混声合唱部とは言っても、練習自体はパート毎に男女別々の部屋ですることが常だったが、私は女子部員は眼中になかったので全く不満はなかった
まあ、堂々とそんなことを続けていれば腐女子のみなさんが喜びそうな噂が立つようになるのは必然といえば必然。それに加えて、日ごろから『不思議の国のアリス』やら『魔法少女アニメ』が好きなことを公言していたこともあり、ある日のこと、中学時代から親しかった同級生であり当時こっそりと想いを寄せていた女の子(※彼氏持ち)から、こんな質問をぶつけられることになるのもまた必然。
「ねえねえ、ぼすべる君って”ホモ”で”ロリコン”なんでしょう?」
・・・あまりにも直球勝負というかデッドボールな彼女の無邪気な問いかけに、当時の私は気の利いた返答ができなかったことが今でも悔やまれる。
「ちょっと待った、訂正を要求する。私は君のことが好きだから、”ホモ”じゃなくて”バイ”ということにして欲しい」
と、ドサクサにまぎれて告白して相手を困らせるぐらいのことをしてやりたかったとつくづく思う。
□■□■□■□
3年間という長いようであっという間の時間だったが、部活をきっかけにして音楽の世界に急速に惹きつけられていったかというと、そんなことは全然なかったこととか、他の部員の上手さに較べて自分の下手っぷりに落ち込んだり、人間関係に嫌気がさしていったん退部届けを出したり、それなりに色々な出来事があったりはしたのだが、音楽部自体にまつわる思い出話は全てばっさりと割愛。
□■□■□■□
本日はこのぐらいで。
【趣味の視点からみた自分史(その4)】
2006年6月15日 趣味 今回は【電源ゲーム】について、小学校〜高校時代まで一纏めにして振り返ってみようと思う。12年分なのでものすごく長くなりそうなものだが、実際にはそうでもなさそうでだ。
□■□■□■□
●電源ゲーム(家庭用ゲーム編):
世代的にはファミコンやPCエンジンの全盛期にあたるだろうか。自分では本体を持っていなかったので、たまに友人から借りて『ドラクエ』や『FF』といった有名タイトル+αを遊んだ程度。
しかしながら、今にして思えば”2、3日学校を無断欠席して短期間クリアを目指す”というプレイスタイルは問題があったような気がする。
●電源ゲーム(PCゲーム編):
同じく本体を持っていなかったので、友人宅で『ウィザードリィ』や『ハイドライド』をプレイさせてもらったぐらいかな。当然のことながら、この頃は18禁ゲームなdという代物は見たことがなかった。
当時の記録媒体といえば5インチFDやカセットテープだったことが思い出されるが、私の職場の極々一部の業務では今でも8インチFDが現役だったりするので、あんまり懐かしいという気分にはならない。
●電源ゲーム(アーケードゲーム編):
当時はまだ対戦型格ゲーというジャンルが確立されておらず そもそも初代『ストリート・ファイター』がやっと登場したばかりだった 主流はシューティングとアクション物だった。
私は『ドルアーガの塔』がやりたくて中学デビューしたのだが、”下手の横好き”以下という腕前だったので、どちらかといえばレベルの高い常連たちのプレイを眺めたり彼らとお喋りするのを楽しみにゲーセンに通っていたのかもしれない。
□■□■□■□
●思い出の1本(家庭用ゲーム編):
『邪聖剣ネクロマンサー』
ドラクエ以降大量生産されたファンタジーRPGの1つであり、良くも悪くも当時の”普通に遊べる”程度のレベルでしかないゲーム。タイトル画面にHGギーガーの女性画を用いたのは、いいセンスをしていたと思う。
ただし、ラスト・ダンジョンに登場する”四天王”がヨグ・ソトース、ニャルラトテップ、ツァトゥグァ、ハスターで、ラスボスがアザトースという不意打ちが私のハートをがっちり鷲掴みに。
●思い出の1本(PCゲーム編):
『ウィザードリィ』
基本にして究極。他に言いようがあるだろうか?
半年掛けて全員LV30に育てたパーティが、9階でゴーゴンとキメラの不意打ち+ブレスによって全滅した時に茫然自失となってリセットを忘れ、ムラマサ・ブレードを持ったサムライをLOSTしたことは今でも忘れられない。
これ関係の攻略本や小説、コミック、画集を夢中になって買い集めたものだ。50冊以上所有している中でも一番のお気に入りは同人誌の『WIZARD☆WIZARDRY』である。
そんな訳で、次点は『カオスエンジェルス』。
●思い出の1本(アーケードゲーム編):
『フェアリーランドストーリー』
全100面のアクションゲーム。全面クリアまで2時間ぐらいかかるので、ものすごくインカムが稼げなさそうだ。
中学校が風邪で休校になったので、ラッキーとばかりにゲーセンでプレイしていたら、教師連中が見回りに。すぐに帰ればいいものを「GAMEOVERになるまでは」と、教師2人に見守られながら1時間以上プレイを続行。残念ながら79面ぐらいで力尽きたが、それでも自己最高記録を更新。翌日学校に呼び出され、教師10人に囲まれて小言を頂戴することになったが、それだけの価値はあったと思いたい。
本日はこのぐらいで。
□■□■□■□
●電源ゲーム(家庭用ゲーム編):
世代的にはファミコンやPCエンジンの全盛期にあたるだろうか。自分では本体を持っていなかったので、たまに友人から借りて『ドラクエ』や『FF』といった有名タイトル+αを遊んだ程度。
しかしながら、今にして思えば”2、3日学校を無断欠席して短期間クリアを目指す”というプレイスタイルは問題があったような気がする。
●電源ゲーム(PCゲーム編):
同じく本体を持っていなかったので、友人宅で『ウィザードリィ』や『ハイドライド』をプレイさせてもらったぐらいかな。当然のことながら、この頃は18禁ゲームなdという代物は見たことがなかった。
当時の記録媒体といえば5インチFDやカセットテープだったことが思い出されるが、私の職場の極々一部の業務では今でも8インチFDが現役だったりするので、あんまり懐かしいという気分にはならない。
●電源ゲーム(アーケードゲーム編):
当時はまだ対戦型格ゲーというジャンルが確立されておらず
私は『ドルアーガの塔』がやりたくて中学デビューしたのだが、”下手の横好き”以下という腕前だったので、どちらかといえばレベルの高い常連たちのプレイを眺めたり彼らとお喋りするのを楽しみにゲーセンに通っていたのかもしれない。
□■□■□■□
●思い出の1本(家庭用ゲーム編):
『邪聖剣ネクロマンサー』
ドラクエ以降大量生産されたファンタジーRPGの1つであり、良くも悪くも当時の”普通に遊べる”程度のレベルでしかないゲーム。タイトル画面にHGギーガーの女性画を用いたのは、いいセンスをしていたと思う。
ただし、ラスト・ダンジョンに登場する”四天王”がヨグ・ソトース、ニャルラトテップ、ツァトゥグァ、ハスターで、ラスボスがアザトースという不意打ちが私のハートをがっちり鷲掴みに。
●思い出の1本(PCゲーム編):
『ウィザードリィ』
基本にして究極。他に言いようがあるだろうか?
半年掛けて全員LV30に育てたパーティが、9階でゴーゴンとキメラの不意打ち+ブレスによって全滅した時に茫然自失となってリセットを忘れ、ムラマサ・ブレードを持ったサムライをLOSTしたことは今でも忘れられない。
これ関係の攻略本や小説、コミック、画集を夢中になって買い集めたものだ。50冊以上所有している中でも一番のお気に入りは同人誌の『WIZARD☆WIZARDRY』である。
そんな訳で、次点は『カオスエンジェルス』。
●思い出の1本(アーケードゲーム編):
『フェアリーランドストーリー』
全100面のアクションゲーム。全面クリアまで2時間ぐらいかかるので、ものすごくインカムが稼げなさそうだ。
中学校が風邪で休校になったので、ラッキーとばかりにゲーセンでプレイしていたら、教師連中が見回りに。すぐに帰ればいいものを「GAMEOVERになるまでは」と、教師2人に見守られながら1時間以上プレイを続行。残念ながら79面ぐらいで力尽きたが、それでも自己最高記録を更新。翌日学校に呼び出され、教師10人に囲まれて小言を頂戴することになったが、それだけの価値はあったと思いたい。
本日はこのぐらいで。
【趣味の視点からみた自分史(その3)】
2006年6月13日 趣味Q:2次元な小説やらコミックやらを読みふけったり、もはや1次元ですらなさそうな脳内世界で冒険を繰り広げるだけの高校生活だけではなかったことを示すために、3次元っぽい話題も持ち出してみるべきではなかろうか?
□■□■□■□
●高校時代(立体造形編):
私の高校では美術と音楽が選択科目だったのだが、当時の私は「もしも課題で”作詞作曲”があったらお手上げだろうな」という理由で音楽を敬遠し、美術を選択していた。もちろん音楽の授業で”作詞作曲”などという課題が出なかったことは言うまでもない。
美術の授業は美術室で行われており、その隣には当然美術部の部室があった。ある日のこと、授業が終わった後に何気なくその部室を覗いてみた私は、無造作に机の上におかれていたある造形物に目を奪われた。のみならず、気がついたら勝手に部室に入り込んで”それ”を手にとっていたのだ。
丁寧に作りこまれていたのはもちろんのこと、彩色もため息が出るほど素晴らしかった。まだ未完成な状態であるのは、素人の私の目にも明らかだったが、それでもなお『美しい』と素直に思った。
私の記憶に間違いがなければ、”それ”は『1/144スケール MSK−008 ディジェ』だったと思う。
要するに『バンダイから発売されていた、”機動戦士Zガンダム”に登場するモビルスーツのプラモデル』通称『ガンプラ』だったわけである。
モデラーとしての腕前はミジンコ並みではあったが、小学生の頃からのガンプラ好きだった私が美術部への入部を即断即決したのは言うまでもない。
□■□■□■□
一口に【プラモデル】と言っても色々なジャンルがあるわけだが、私が好んでいたのは「バイク」や「戦車」や「お城」ではなく、「ガンダム」や「ダンバイン」や「エルガイム」に代表される『バンダイのサンライズ物』だった。
ただし、ミリタリー物がまるっきりダメだったのかというとそうでもなく、当時購読していた模型誌『月間ホビージャパン』に連載されていた『SF3D』は大好きだったし、新谷かおる氏の『エリア88』『戦場ロマンシリーズ』の影響で「戦闘機」も買っていた。
『ガンプラ物のバンダイ』の対極に位置していた『ミリタリー物のタミヤ』の商品もよく通販していたものである。ただし、模型ではなく『プラモのモ子ちゃん模型講座』『白亜紀子のタミヤコミックス・シリーズ』『モ子ちゃんのガイドブック・シリーズ』などの書籍だったが。
余談になってしまうが、当時憧れのモデラーだった横山宏氏やMAX渡辺氏が今なお現役で活躍されているのは嬉しい限りだ。
・・・そういえば『買うたやめた音頭』で有名な松本修平氏はお元気だろうか?
□■□■□■□
まあ、そういったきっかけで入部した私が真面目に油絵や彫刻に取り組むはずもなく、思い出されるのは・・・
『休み時間に部室に備え付けのコーヒーを飲んで』
『後輩の女の子と毎日トランプの”スピード”勝負して』
『部員の誰かが置いていくコミックを読みふけり』
『プラモデルを大量に持ち込んで部室の一角を占拠し』
『たまに顔をだすOBOGと夜遅くまでお喋り』
そんなダメ部員を絵に描いたような日々。
それでも退部を言い渡されることもなく、3年間を楽しく過ごさせてくれた美術部の仲間たちに尽きせぬ感謝を。
それから、私が持ち込んだプラモデルの大半を勝手に組み立てて塗装までしてくれやがった某先輩には少しばかりの恨み言を。
□■□■□■□
A:『眺めるだけの2次元美少女イラスト萌え』+『実際に触れる3次元美少女フィギュア萌え』の複合属性持ちにレベルアップしただけのような気がしないかね?
本日はこのぐらいで。
□■□■□■□
●高校時代(立体造形編):
私の高校では美術と音楽が選択科目だったのだが、当時の私は「もしも課題で”作詞作曲”があったらお手上げだろうな」という理由で音楽を敬遠し、美術を選択していた。もちろん音楽の授業で”作詞作曲”などという課題が出なかったことは言うまでもない。
美術の授業は美術室で行われており、その隣には当然美術部の部室があった。ある日のこと、授業が終わった後に何気なくその部室を覗いてみた私は、無造作に机の上におかれていたある造形物に目を奪われた。のみならず、気がついたら勝手に部室に入り込んで”それ”を手にとっていたのだ。
丁寧に作りこまれていたのはもちろんのこと、彩色もため息が出るほど素晴らしかった。まだ未完成な状態であるのは、素人の私の目にも明らかだったが、それでもなお『美しい』と素直に思った。
私の記憶に間違いがなければ、”それ”は『1/144スケール MSK−008 ディジェ』だったと思う。
要するに『バンダイから発売されていた、”機動戦士Zガンダム”に登場するモビルスーツのプラモデル』通称『ガンプラ』だったわけである。
モデラーとしての腕前はミジンコ並みではあったが、小学生の頃からのガンプラ好きだった私が美術部への入部を即断即決したのは言うまでもない。
□■□■□■□
一口に【プラモデル】と言っても色々なジャンルがあるわけだが、私が好んでいたのは「バイク」や「戦車」や「お城」ではなく、「ガンダム」や「ダンバイン」や「エルガイム」に代表される『バンダイのサンライズ物』だった。
ただし、ミリタリー物がまるっきりダメだったのかというとそうでもなく、当時購読していた模型誌『月間ホビージャパン』に連載されていた『SF3D』は大好きだったし、新谷かおる氏の『エリア88』『戦場ロマンシリーズ』の影響で「戦闘機」も買っていた。
『ガンプラ物のバンダイ』の対極に位置していた『ミリタリー物のタミヤ』の商品もよく通販していたものである。ただし、模型ではなく『プラモのモ子ちゃん模型講座』『白亜紀子のタミヤコミックス・シリーズ』『モ子ちゃんのガイドブック・シリーズ』などの書籍だったが。
余談になってしまうが、当時憧れのモデラーだった横山宏氏やMAX渡辺氏が今なお現役で活躍されているのは嬉しい限りだ。
・・・そういえば『買うたやめた音頭』で有名な松本修平氏はお元気だろうか?
□■□■□■□
まあ、そういったきっかけで入部した私が真面目に油絵や彫刻に取り組むはずもなく、思い出されるのは・・・
『休み時間に部室に備え付けのコーヒーを飲んで』
『後輩の女の子と毎日トランプの”スピード”勝負して』
『部員の誰かが置いていくコミックを読みふけり』
『プラモデルを大量に持ち込んで部室の一角を占拠し』
『たまに顔をだすOBOGと夜遅くまでお喋り』
そんなダメ部員を絵に描いたような日々。
それでも退部を言い渡されることもなく、3年間を楽しく過ごさせてくれた美術部の仲間たちに尽きせぬ感謝を。
それから、私が持ち込んだプラモデルの大半を勝手に組み立てて塗装までしてくれやがった某先輩には少しばかりの恨み言を。
□■□■□■□
A:『眺めるだけの2次元美少女イラスト萌え』+『実際に触れる3次元美少女フィギュア萌え』の複合属性持ちにレベルアップしただけのような気がしないかね?
本日はこのぐらいで。
【趣味の視点からみた自分史(その2)】
2006年6月12日 趣味 コメント (2)Q:広大なネット世界の隅っこでひっそりとやっていこうと思っていたにも関わらず、1回目の日記を書く前リアルの知人からのリンクが張られていたのは一体どういうことか?
□■□■□■□
●高校時代(TRPG編):
残念ながら中学校時代の【TRPG】仲間とは別々の学校になってしまったが、やはり当時大人気だった『ドラクエ2』の話題をきっかけとして新しいプレイヤーにすんなり出会うことができた。大喜びだった私は全力で【TRPG】にのめり込んでいくことになる。
『赤箱』に続き『青箱』『緑箱』『黒箱』の日本語版が出るたびに買い揃え、それだけでは飽き足らずに『AD&D』の英語版を手に入れて自力で翻訳し始めるほどだったと言えば当時の私の逝かれっぷりが解る人には痛いほど解ってもらえることだろう。もちろん、解らない人にはこれっぽっちも解らないだろうが、「そんなことは知ったこっちゃないのである」というスタンスで書き進めてみようと考えているのでご容赦いただきたい。
その他にも、『ローズ・トゥ・ロード』『トラベラー』『クトゥルフの呼び声』『WARPS』『指輪物語RPG』『ルーンクエスト』『ストームブリンガー』『ファンタズム・アドベンチャー』 etc... 色々なシステムに片っ端から手を出してみたりもしたのだが、その大半が1、2回しか遊ばれなかったと記憶している。
結局のところ、みんなの一番のお気に入りは『D&D』『AD&D』であったのは間違いないと思う。メンバー達が初めて作ったキャラクターに愛着を抱いていたのか、あるいはルールの単純さが愛されていたのかは今となっては知る由もないが。
まあ、そんなわけで私の高校時代の思い出といえば・・・
『英語の授業中は英語版ルールブックの翻訳』
『それ以外の授業中はシナリオの作成』
『昼休みになると美術室でTRPG』
『放課後は部活がなければTRPG』
『休日は誰かの家でTRPG』
・・・まさにTRPG三昧。
これが私にとって幸せだったのか不幸だったのかは定かではないが、大学に一浪したメンバーがいたことを考えると(私たちの高校はこの地域では進学校ということになっていた)、少なくとも彼にとって私との出会いはちょっぴり不運だったのかもしれない。
□■□■□■□
A:某ネトゲでやったように、女の子っぽいHNで登録して女の子っぽい口調にしていたら誰も気がつかなかったのではないだろうか?
本日はこのぐらいで。
□■□■□■□
●高校時代(TRPG編):
残念ながら中学校時代の【TRPG】仲間とは別々の学校になってしまったが、やはり当時大人気だった『ドラクエ2』の話題をきっかけとして新しいプレイヤーにすんなり出会うことができた。大喜びだった私は全力で【TRPG】にのめり込んでいくことになる。
『赤箱』に続き『青箱』『緑箱』『黒箱』の日本語版が出るたびに買い揃え、それだけでは飽き足らずに『AD&D』の英語版を手に入れて自力で翻訳し始めるほどだったと言えば当時の私の逝かれっぷりが解る人には痛いほど解ってもらえることだろう。もちろん、解らない人にはこれっぽっちも解らないだろうが、「そんなことは知ったこっちゃないのである」というスタンスで書き進めてみようと考えているのでご容赦いただきたい。
その他にも、『ローズ・トゥ・ロード』『トラベラー』『クトゥルフの呼び声』『WARPS』『指輪物語RPG』『ルーンクエスト』『ストームブリンガー』『ファンタズム・アドベンチャー』 etc... 色々なシステムに片っ端から手を出してみたりもしたのだが、その大半が1、2回しか遊ばれなかったと記憶している。
結局のところ、みんなの一番のお気に入りは『D&D』『AD&D』であったのは間違いないと思う。メンバー達が初めて作ったキャラクターに愛着を抱いていたのか、あるいはルールの単純さが愛されていたのかは今となっては知る由もないが。
まあ、そんなわけで私の高校時代の思い出といえば・・・
『英語の授業中は英語版ルールブックの翻訳』
『それ以外の授業中はシナリオの作成』
『昼休みになると美術室でTRPG』
『放課後は部活がなければTRPG』
『休日は誰かの家でTRPG』
・・・まさにTRPG三昧。
これが私にとって幸せだったのか不幸だったのかは定かではないが、大学に一浪したメンバーがいたことを考えると(私たちの高校はこの地域では進学校ということになっていた)、少なくとも彼にとって私との出会いはちょっぴり不運だったのかもしれない。
□■□■□■□
A:某ネトゲでやったように、女の子っぽいHNで登録して女の子っぽい口調にしていたら誰も気がつかなかったのではないだろうか?
本日はこのぐらいで。
さて、始めるとしようか。
2006年6月11日 趣味 もう何年も前の話になるが、知人と電話で四方山話をしていたときに『HPを作ってみようか』という流れになったことがある。当時は自由にできる時間がそれなりにあったので、入門書なども買ったりしたのだが、それほど本気でもなかったので結局はそれっきりになってしまった。
ちなみに、サイトのテーマは【お気に入りのAV女優の出演作品に関するレビュー】にするつもりだった気がする。
□■□■□■□
今回ブログをやってみようと思ったのも、自分の平々凡々な日常を公開したいというわけではなく、自分の趣味である【卓上ゲーム】や【電源ゲーム】について感じた/感じていることを感情の赴くままに書き散らかしたくなったというのが主たる動機である。
なにぶん普段から『他人様に読んでもらうための文章』を書き慣れているというわけではないため、文体も内容もそうそう面白いものにはならないと思われるので、その点についてはご容赦いただきたく。
なお、文章を書くことに慣れてきたら、今度こそ【お気に入りのAV女優の出演作品に関するレビュー】を、などということを考えていたりいなかったり。
□■□■□■□
さて、自分の趣味とは言ったものの、それなりの年数を生きてきた過程で色々なことに手を出してきたように思う。行き当たりばったり書いていくと、自分でも収拾がつかなくなりそうな予感と不安に胸が押しつぶされそうになったので、まずは【趣味の視点からみた自分史】という形で整理していこうと思う。
●小学生時代:
とにかく【読書】が好きだった。
登校すると真っ先に図書室に行って本を借り、その日の授業中に読破して、下校前に図書室に寄って別の本を借りるというぐらい本の虫。帰宅後は友達と外で遊びまわるということも”なく”、黙々と【読書】。布団に入ってからも電気スタンドの明かりで【読書】。
おかげで、小学校生活も半ばを過ぎるころには度のきつい眼鏡をかけるはめになり、『人を寄せ付けない不機嫌そうな雰囲気に拍車がかかっていた』というのが、親しかった女の子が取り返しがつかないくらい後になってから語ってくれた当時の印象らしい。
●中学校時代(前半):
【読書】好きは相変わらず。さまざまなジャンルの本に手を出す過程で出会ったのが【ゲームブック】『火吹き山の魔法使い』である。今にして思えば、私の「海外ファンタジーゲーム好き」はここが原点になっているのかもしれない。
なお、ファイティング・ファンタジー・シリーズの傑作『ソーサリー四部作』の最終選択肢を間違ってしまい、魔王バルサス
を倒せずに枕を涙で濡らしたことは死ぬまで忘れられない遠い日の思い出である。”こっそりやり直す”ということを当時の私は良しとしなかったため、未だに最終パラグラフを読んでいない・・・妙なところで融通が利かない性格だったようだ。
●中学校時代(後半):
ゲームブックがきっかけで、日本で発売されたばかりの【TRPG】『D&D(赤箱)』を買ったのもこの頃である。本来であれば、この未知のジャンルで一緒に遊んでくれる相手を見つけるのはかなり困難だったはずだが、当時大人気だった【ファミコン】『ドラゴンクエスト』という下地のおかげで、クラスメイト3人が簡単に仲間になってくれたのは幸運だったと言えよう。
当然のように、ルールの持ち主である私がマスターをやることになったのだが、ここでも融通の利かなさっぷりが遺憾なく発揮されることになる。キャラクターが死ぬたびに新しくキャラクターを作り直させて、シナリオを”最初からやり直す”ということを繰り返していたのだ。これも死ぬまで忘れられそうにない思い出の1つである。
□■□■□■□
本日はこのぐらいで。
ちなみに、サイトのテーマは【お気に入りのAV女優の出演作品に関するレビュー】にするつもりだった気がする。
□■□■□■□
今回ブログをやってみようと思ったのも、自分の平々凡々な日常を公開したいというわけではなく、自分の趣味である【卓上ゲーム】や【電源ゲーム】について感じた/感じていることを感情の赴くままに書き散らかしたくなったというのが主たる動機である。
なにぶん普段から『他人様に読んでもらうための文章』を書き慣れているというわけではないため、文体も内容もそうそう面白いものにはならないと思われるので、その点についてはご容赦いただきたく。
なお、文章を書くことに慣れてきたら、今度こそ【お気に入りのAV女優の出演作品に関するレビュー】を、などということを考えていたりいなかったり。
□■□■□■□
さて、自分の趣味とは言ったものの、それなりの年数を生きてきた過程で色々なことに手を出してきたように思う。行き当たりばったり書いていくと、自分でも収拾がつかなくなりそうな予感と不安に胸が押しつぶされそうになったので、まずは【趣味の視点からみた自分史】という形で整理していこうと思う。
●小学生時代:
とにかく【読書】が好きだった。
登校すると真っ先に図書室に行って本を借り、その日の授業中に読破して、下校前に図書室に寄って別の本を借りるというぐらい本の虫。帰宅後は友達と外で遊びまわるということも”なく”、黙々と【読書】。布団に入ってからも電気スタンドの明かりで【読書】。
おかげで、小学校生活も半ばを過ぎるころには度のきつい眼鏡をかけるはめになり、『人を寄せ付けない不機嫌そうな雰囲気に拍車がかかっていた』というのが、親しかった女の子が取り返しがつかないくらい後になってから語ってくれた当時の印象らしい。
●中学校時代(前半):
【読書】好きは相変わらず。さまざまなジャンルの本に手を出す過程で出会ったのが【ゲームブック】『火吹き山の魔法使い』である。今にして思えば、私の「海外ファンタジーゲーム好き」はここが原点になっているのかもしれない。
なお、ファイティング・ファンタジー・シリーズの傑作『ソーサリー四部作』の最終選択肢を間違ってしまい、魔王バルサス
を倒せずに枕を涙で濡らしたことは死ぬまで忘れられない遠い日の思い出である。”こっそりやり直す”ということを当時の私は良しとしなかったため、未だに最終パラグラフを読んでいない・・・妙なところで融通が利かない性格だったようだ。
●中学校時代(後半):
ゲームブックがきっかけで、日本で発売されたばかりの【TRPG】『D&D(赤箱)』を買ったのもこの頃である。本来であれば、この未知のジャンルで一緒に遊んでくれる相手を見つけるのはかなり困難だったはずだが、当時大人気だった【ファミコン】『ドラゴンクエスト』という下地のおかげで、クラスメイト3人が簡単に仲間になってくれたのは幸運だったと言えよう。
当然のように、ルールの持ち主である私がマスターをやることになったのだが、ここでも融通の利かなさっぷりが遺憾なく発揮されることになる。キャラクターが死ぬたびに新しくキャラクターを作り直させて、シナリオを”最初からやり直す”ということを繰り返していたのだ。これも死ぬまで忘れられそうにない思い出の1つである。
□■□■□■□
本日はこのぐらいで。