【趣味の視点からみた自分史(その5)】
2006年6月20日 趣味 今回で高校時代の話はいったん終わりである。せっかくなので、青春の思い出に相応しく女の子も絡ませてみようかと頑張ってみる予定。
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●高校時代(音楽部編):
私の父親はTV番組の好き嫌いが激しかった。
・歌番組 → 不許可
・連ドラ → 不許可
・お笑い系 → 不許可
・野球 → 巨人が負けている試合のみ可
気に入らないドラマのCMが流れただけで、不機嫌になってTVの電源を切ってしまったぐらいである。我侭にもほどがあるという気がしないでもないが、「ああ、やっぱり私はこの人の子供なんだな」と納得する部分があったりもする。
そんなわけで、小学校〜高校という多感な時期に、自由にTV番組を楽しむこともできず、必然的に友人たちとその手の話題で盛り上がるという経験をすることもなかった。もっとも、当時の私はそんな環境に慣れていた上に「今日も本に囲まれて、しあわせ」という状態だったので、それほど残念だとは思っていなかったのだが。
こういった環境で育った反動なのかどうかは解らないが、後に妹と弟は超有名歌手のコンサート ”ムーンウォーク”が得意な”ネバーランド”の主 に行ったり、ギターを弾いたりドラムを叩いたりしていた。
そんな2人の兄である私はどうだったのかというと、中学まではいわゆる帰宅部であったにも関わらず、高校では入学直後に何故か混声合唱部に入部していた。
別に歌声に自信があったとか、入学式で見かけて一目惚れした女の子が合唱部だったとか、そういう理由ではない。部活紹介をしていた男の先輩がむっちゃ格好良かったのだ。もちろん、それまで合唱の経験などありはしないし、音楽の時間は嫌いな方だったが、そんなこと知ったこっちゃないのである。私は単純にあの先輩たちと一緒に部活がしたかったのだ。
□■□■□■□
ここで、「あれ?ぼすべる氏は美術部員ではなかったかな?」と思った人のために解説させていただくが、私の通っていた高校では兼部が認められていたのだ。
最大幾つまで掛け持ちが可能だったのかは解らないが、とにかく私は美術部、合唱部、文芸部に所属し、ごくたまに演劇部のお手伝いをしていた。ちなみに、文芸部では部長も務めたが、これは単に私の代の3年生が私1人だけという事情があっただけのことである。
なお、音楽部+美術部という生徒は、私を含めて3人いたということも付け加えておこう。
□■□■□■□
さて、男女混声合唱部とは言っても、練習自体はパート毎に男女別々の部屋ですることが常だったが、私は女子部員は眼中になかったので全く不満はなかった 彼女たちの名誉のために言っておくと、私の代の女子部員は可愛い子達が揃っていた。いや、お世辞でなく。本当に。練習中や練習後に、機会を見つけては心置きなくお気に入りの男の先輩に絡んで部活を楽しんだことが思い出される。
まあ、堂々とそんなことを続けていれば腐女子のみなさんが喜びそうな噂が立つようになるのは必然といえば必然。それに加えて、日ごろから『不思議の国のアリス』やら『魔法少女アニメ』が好きなことを公言していたこともあり、ある日のこと、中学時代から親しかった同級生であり当時こっそりと想いを寄せていた女の子(※彼氏持ち)から、こんな質問をぶつけられることになるのもまた必然。
「ねえねえ、ぼすべる君って”ホモ”で”ロリコン”なんでしょう?」
・・・あまりにも直球勝負というかデッドボールな彼女の無邪気な問いかけに、当時の私は気の利いた返答ができなかったことが今でも悔やまれる。
「ちょっと待った、訂正を要求する。私は君のことが好きだから、”ホモ”じゃなくて”バイ”ということにして欲しい」
と、ドサクサにまぎれて告白して相手を困らせるぐらいのことをしてやりたかったとつくづく思う。
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3年間という長いようであっという間の時間だったが、部活をきっかけにして音楽の世界に急速に惹きつけられていったかというと、そんなことは全然なかったこととか、他の部員の上手さに較べて自分の下手っぷりに落ち込んだり、人間関係に嫌気がさしていったん退部届けを出したり、それなりに色々な出来事があったりはしたのだが、音楽部自体にまつわる思い出話は全てばっさりと割愛。
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本日はこのぐらいで。
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●高校時代(音楽部編):
私の父親はTV番組の好き嫌いが激しかった。
・歌番組 → 不許可
・連ドラ → 不許可
・お笑い系 → 不許可
・野球 → 巨人が負けている試合のみ可
気に入らないドラマのCMが流れただけで、不機嫌になってTVの電源を切ってしまったぐらいである。我侭にもほどがあるという気がしないでもないが、「ああ、やっぱり私はこの人の子供なんだな」と納得する部分があったりもする。
そんなわけで、小学校〜高校という多感な時期に、自由にTV番組を楽しむこともできず、必然的に友人たちとその手の話題で盛り上がるという経験をすることもなかった。もっとも、当時の私はそんな環境に慣れていた上に「今日も本に囲まれて、しあわせ」という状態だったので、それほど残念だとは思っていなかったのだが。
こういった環境で育った反動なのかどうかは解らないが、後に妹と弟は超有名歌手のコンサート
そんな2人の兄である私はどうだったのかというと、中学まではいわゆる帰宅部であったにも関わらず、高校では入学直後に何故か混声合唱部に入部していた。
別に歌声に自信があったとか、入学式で見かけて一目惚れした女の子が合唱部だったとか、そういう理由ではない。部活紹介をしていた男の先輩がむっちゃ格好良かったのだ。もちろん、それまで合唱の経験などありはしないし、音楽の時間は嫌いな方だったが、そんなこと知ったこっちゃないのである。私は単純にあの先輩たちと一緒に部活がしたかったのだ。
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ここで、「あれ?ぼすべる氏は美術部員ではなかったかな?」と思った人のために解説させていただくが、私の通っていた高校では兼部が認められていたのだ。
最大幾つまで掛け持ちが可能だったのかは解らないが、とにかく私は美術部、合唱部、文芸部に所属し、ごくたまに演劇部のお手伝いをしていた。ちなみに、文芸部では部長も務めたが、これは単に私の代の3年生が私1人だけという事情があっただけのことである。
なお、音楽部+美術部という生徒は、私を含めて3人いたということも付け加えておこう。
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さて、男女混声合唱部とは言っても、練習自体はパート毎に男女別々の部屋ですることが常だったが、私は女子部員は眼中になかったので全く不満はなかった
まあ、堂々とそんなことを続けていれば腐女子のみなさんが喜びそうな噂が立つようになるのは必然といえば必然。それに加えて、日ごろから『不思議の国のアリス』やら『魔法少女アニメ』が好きなことを公言していたこともあり、ある日のこと、中学時代から親しかった同級生であり当時こっそりと想いを寄せていた女の子(※彼氏持ち)から、こんな質問をぶつけられることになるのもまた必然。
「ねえねえ、ぼすべる君って”ホモ”で”ロリコン”なんでしょう?」
・・・あまりにも直球勝負というかデッドボールな彼女の無邪気な問いかけに、当時の私は気の利いた返答ができなかったことが今でも悔やまれる。
「ちょっと待った、訂正を要求する。私は君のことが好きだから、”ホモ”じゃなくて”バイ”ということにして欲しい」
と、ドサクサにまぎれて告白して相手を困らせるぐらいのことをしてやりたかったとつくづく思う。
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3年間という長いようであっという間の時間だったが、部活をきっかけにして音楽の世界に急速に惹きつけられていったかというと、そんなことは全然なかったこととか、他の部員の上手さに較べて自分の下手っぷりに落ち込んだり、人間関係に嫌気がさしていったん退部届けを出したり、それなりに色々な出来事があったりはしたのだが、音楽部自体にまつわる思い出話は全てばっさりと割愛。
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本日はこのぐらいで。
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