高校を卒業した後、私は親元を離れ”杜の都”の名で知られる東北地方の某都市で6年を過ごすことになる。それは日本におけるTRPGの全盛期TCGの黎明期と重なる時期でもあった。

                     □■□■□■□

●杜の都在住時代(TRPG編前編):
 高校時代の仲間と離れ離れになりはしたが、倖いにも当時はTRPGの全盛期であり、ここ杜の都でも毎週のようにコンベンションが開かれていたので、新しい出会いの場には事欠かなかった。
 
 とは言うものの、TRPGは他人とのコミュニケーションの要素が強いため、気の合わない人たちと卓を囲むはめになることも多かった。プレイヤーの1人の言動が生理的に受け付けないというのはまだましな方で、GMのシナリオとマスタリングと性格が絶望的に破綻しているために”人生の無駄遣い”をしたことも珍しくなかった。
 もっとも、後者の場合は「このGMむかつくよね」「うん、死んじゃえばいいのに」という気持ちでプレイヤー全員が固く結束する場合もあったので、それはそれで懐かしい思い出といえる。
 
 ともかく、何度もハズレを繰り返しながらあちこちの会場に何度も足を運ぶうちに、やがて幾つかのグループと親しくなることができた。
 ここで色々と紆余曲折があったり私の例の”好き嫌い”の問題があったりして結果、結局は私よりTRPG暦も人生経験も私より豊富な人たちと付き合うようになったが、高校時代の部活と同様に年上の男性好き属性が影響したのか否か? 当時の私は無自覚だったので、今となっては答えは歴史の闇の中である。

 親元を離れたことによって”門限”という制約がなくなったこともあり、月に何度か金曜の夜〜日曜の夜までTRPG漬けなんていうことを平気でやったものだが、今やろうとしても体力と気力が続きそうにない。やっぱり何事も身体が資本だということを思い知らされる。

                     □■□■□■□

 当時は色々なシステムが手に入るようになっていたが、私たちのグループが好んだのは『D&D』『ルーン・クエスト』『ストームブリンガー』『クトゥルフの呼び声』などの海外物(日本語版)のだった。
 高校時代に『AD&D』を翻訳していた私だが、メンバーたちが英語のシナリオやサプリメントで遊んでいるのに感化され、他のシステムの翻訳にも着手するという今にして思えば自信過剰なことをやらかしていた。以下はその”墓標”である:
 
 『AD&D Players Handbook』
 『AD&D Dungeon Master Guide』
 『AD&D Unearthd Arcana』
 『AD&D Oriental Adventure』 
 『Elric!』
 『Vampire The Masquerade』
 『Paranoia』


 なにせ当時の私はパソコンもワープロも持ってなかったので、すべてルーズリーフに手書きだったことを思い出すと、自分で自分を褒めてやりたい気分になる。
 そして同時に、上に挙げたシステムの大半は数ヶ月かけて翻訳を終えて何度か遊んだ頃に版が更新され、しかも日本語版の発売が決定されたことも思い出し、目頭が熱くなってくるのを禁じえないのである。

                      □■□■□■□

本日はこのぐらいで。   

コメント

お気に入り日記の更新

テーマ別日記一覧

最新のコメント

この日記について

日記内を検索